茨城県立土浦第一高等学校(全日制・定時制)
 

校歌

茨城県立土浦第一高等学校 - 校歌


茨城県立土浦第一高等学校校歌(明治44年制定)
wma再生 (本校 吹奏楽部・弦楽部・合唱部によるものです。)


                 作詞  堀越ほりこし すすむ

                 作曲  尾崎おざき 楠馬くすま


一 沃野一望よくやいちぼう数百里すうひゃくり 関八州かんはっしゅう重鎮しずめとて

  そそりちたり筑波山つくばやま そらみどりをさながらに 

  たたえてする漣波さざなみは 終古しゅうこかはらぬ霞浦かほみず    

        

二 はる彌生やよい桜川さくらがわ みなもとせて

  ながれうか花筏はないかだ あし枯葉かれは秋立あきたてば

  わたかりがね声冴こえさえて 湖心こしんむやつきかげ

        

三 山水さんすいけて われ寛雅かんが度量どりょうあり

  秀麗しゅうれいけて われ至誠しせい精神こころあり

  東国男児あずまおのこけて われ武勇ぶゆう気魄きはくあり

        

 四 筑波つくばやまのいやたかく かすみうらのいやひろ

  嗚呼ああ桜水おうすいはたてて 校風こうふうかがやかせ

  亀城一千きじょういっせん健男児けんだんじ 亀城一千きじょういっせん健男児けんだんじ




〈現代語訳〉

一 肥沃な平野をはるかに見渡し,関東八カ国の重要なしずめ(重鎮)として,

  筑波山は,そそり立っている。空の青緑色そのままに,

  水をたたえてさざ波が打ち寄せている,霞ヶ浦の水は,いつまでも変わることがない。

  

二 春三月頃の桜川は,その源流の桜の花の香りをせて,

  川の流れに桜の花びら(花筏はないかだ)を浮かべている。あしの枯れ葉に秋の訪れを感じる頃の

  霞ヶ浦は,湖を渡るかりの鳴き声がえわたり,湖の中央に澄んだ月影を浮かべている。


三 この山水の美しさを享受して,私にはゆったりとした優雅な心の広さが身に付いている。

  この計り知れない優れた精気を享受して,私には極めて誠実な心が身に付いている。

  東男あずまおとこの血筋を引き継いで,私には強く勇ましい精神力が身に付いている。


四 筑波山のようにますます高く,霞ヶ浦のようにますます広く,

  ああ,今こそ校旗(桜水の旗)を打ち立てて,我が校風を輝かせよ。

  亀城に学ぶ1千名の健男児よ! 亀城に学ぶ1千名の健男児よ!



 明治44年(1911)1月1日,選定校歌の発表があった。前年7月,全校生徒に校歌作詞の夏休みの宿題が出された。応募作品の中から,当時4年生(16歳)の堀越ほりこしすすむ氏(中学校11回,明治45年卒)の作品が入選した。堀越氏は石岡市井関の出身である。最上級の5年生ではなく4年生の作品が選ばれたということで,全校生は驚きの念で迎えたという。卒業後,東北帝国大学医学専門部を卒業して,宇都宮の病院に勤務したが,大正6年(1917)に23歳で夭逝した。

 堀越氏の詞を補筆し作曲したのが,国漢科主任の尾崎おざき楠馬くすま教諭(作曲時35歳,明治40年~44年在職)であった。尾崎氏は,高知県出身であり,東京高等師範学校卒業後,本校に赴任した。青年教師として国漢の教授,寄宿舎の舎監,水上部(水泳部)顧問として活躍するとともに,オルガンを巧みに弾き,音楽にも堪能であったという。

 制定当時と現在とでは歌詞の一部が異なっている。3番の「此の秀霊」が「此の秀麗」に,「東国男児の氣を享けて」が「東国男児の血を享けて」に,「武勇の気魂」が「武勇の気魄」に改められている。また,4番の「亀城五百の健男児」は,生徒数の増加に伴い逐次改められ,現在は,「亀城一千の健男児」と歌われている。

 歌詞は,1番で俯瞰した筑波山や霞ヶ浦の雄大な自然を,2番で眼前の郷土の美しい季節の移ろいを,3番でこの素晴らしい風土に培われる若人の心意気や心の内を,そして最後の4番でこの学舎での青春や未来へのエールを誇らかに歌い上げる構成となっている。

 歌詞は七五調のリズムで,曲は4分の2拍子であるため歌いやすく,青年の心意気を高らかに歌い上げることができる校歌である。なお,戦後,3番が歌われなかった時代があった。軍国主義的なフレーズがタブー視されたためである。現在は,1番から4番まですべてを入学式,卒業式,野球応援など様々な場面で歌われている。今後どんなに時代が変わっても全歌詞が歌い継がれる世の中であることを願いたい。

 (「進修百年」(1997),「アカンサス」(第13号・第57号)より)

 
「真鍋台からの筑波山遠望」
 一高本館校舎からの筑波山。本校初の修学旅行は創立直後の明治30年6月2日の筑波山登山であった。
「そそり立ちたり筑波山」は,高い理想や高い「志」を持つ一高生・卒業生を幾久しく見守り続けている。


 
 「真鍋台からの霞ヶ浦遠望」
 一高旧本館前庭土手からの霞ヶ浦。正岡子規が明治22年(1889)4月3日に「霞みながら 春雨ふるや 湖の上」と
詠んだのもこの真鍋台(一高近辺)から。「終古渝らぬ霞浦の水」は,社会のために広く活躍する一高生・卒業生を
幾久しく見守り続けている。


 
 
 
 
 
「源の香」
 校歌中の「源の香」とは,春爛漫の桜川源流地域で咲き誇る桜花から醸し出された香りのことを示す。源の香を載せて桜川下流を花筏がゆったりと流れる風情は趣深い。 源流地域の桜川市岩瀬地区は,古来より「西の吉野,東の桜川」と称されるほどの桜の名所。写真は,上から順に「鏡ヶ池」(桜川市山口。桜川の水源,水が枯れることがないという),「磯部桜川公園」(桜川市磯部。日本最古の桜の名所,世阿弥の謡曲「桜川」や紀貫之の和歌でも有名),「高峯」(桜川市平沢。山に自生する山桜が見事)。 

 
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